わたしたちは「生かされている」と言われても…若いときはその意味がよく分からなかった

「わたしたちは生かされているのだ」と

哲学者や人生長く生きた人などがよく口にする言葉ですが、

ハッキリ言って、若いときはその意味がよく分かりませんでした。

最近になって私なりのその言葉の解釈としては、

「人生の終わるタイミングは自分では決められない」と

いうことかと思っています。

そういう理解に至った経緯などについて書きます。

親が癌になって

わたしの場合、両親とも癌になりました。

父は癌が原因で30年前に亡くなり、

母は半年前に癌が見つかり手術を受けました。

手術後も母は、再発や転移がないか

定期的に検診を受けています。

再発や転移を防ぐために食事や健康に気を付けていますが

今後どうなるかは母や誰かが選択できるものではありません。

自分で「生き延びてやる!」という意志も大切でしょうが

やはり「生かされている」と実感しています。

自分が不整脈で入院して

私自身が不整脈で手術した際に、

手術による感染症や麻酔によるリスクなどを

色々説明されました。

感染症になったり麻酔の事故で

死んでしまう可能性は低いと言われましたが、

ゼロではないとのこと。

運が悪ければそうなるでしょうし、

自分の気合や注意で避けられるものではありません。

術後数年経った今は、元気で「生かされている」ことを

噛みしめています。

犬が急死して

わたしは犬を飼っていますが、

犬の病気やケガには気を付けてきました。

また、散歩など運動も適度にさせたり

ドックフードにも気を使ったりと

犬が長生きするため色々努力をしてきたつもりです。

それでも先代の犬はある日突然、

何が原因かもわからず急に倒れこんで死んでしまいました。

長生きを願っていても、

それは飼い主の意志や努力

とは関係なく不意のタイミングで

終わりを告げます。

コロナ、地震、戦争などの出来事で

近隣や世界をみても、自分の意志とは関係なく

いつ何時「生かされなくなる」か分かりません。

現在のコロナや先日の地震、海外では戦争など

自分の願いや予測とは関係なく

人生がいつ終わっても不思議ではありません。

まとめ

いつのタイミングで「生かされなくなる」かは分かりませんが、

今生きている(生かされている)ことは事実で、

その日その日を大切に暮らしていきたいと思う

今日この頃でした。

編集後記

今、税理士業界で熱いDX(Digital Transformation)ですが

その略がどうして「DX」であって、「DT」ではないのでしょうか?

「X」がクロスの意味でトランス(移動・変化)の象徴?

ややこしい・・・