手に入れられなかったものを「酸っぱいぶどう」と考えるのは悪いことなのか?

イソップ寓話を1つ。

キツネが高い木に実ったブドウを見つけて食べようとしたが、

何度飛び跳ねても届かない。どうやってもダメなので、

「どうせこのブドウは酸っぱいに決まっている」と

捨て台詞を言ってその場を去っていったという話。

この話の教訓は、負け惜しみなど言わないで、

ちゃんと自分の能力不足と向き合い、現実を直視しなさいというものです。

ですが、「酸っぱいぶどう」と考えることは本当にダメなのでしょうか?

手に入れられないものに後悔しがち

私は結構、手に入れられなかったものに執着するタイプです。

例えば投資で「あの時この株を売っていれば…」とか

「もっと早い時期に暗号資産を買っておけば…」など、よく後悔します。

仕事でも、報酬も相性も良さそうな新規見込客を逃したりすると

「見積額をもう少し安くしていれば…」とか

「もう少し当事務所の長所をアピールできていれば…」など、

いつまでもグダグダ引きずるタイプです。

要は諦めが悪く、直ぐ気持ちを切り替えて前へ進めないタイプです。

「酸っぱいぶどう」と考える

そんな後悔を長く引きずる私の対処法の1つとして

「酸っぱいぶどう」の考えがあるのです。

例えば「仮にあの株を最高値のタイミングで売って大儲けしたとしても、

どうせその資金で他の株を買って大損したに違いない!」とか、

「あのお客様は実はクレーマー気質だったかも」など考えて、

自分の都合のいいように言い聞かせるのです。

前に進めるメリットもある

そうやって「酸っぱいぶどう」に違いないと考えると

その手に入れられなかったものを何とか諦めることができます。

そして諦めがつくと、ようやく次の段階として、

「では、これからどうしよう?」と前に進むことができるのです。

もちろん教訓通りの反省も必要

「酸っぱいぶどう」の考え方も悪くないのではという話でした。

ただし、教訓通り自分の能力不足により手に入れられなかったことを

反省しないと、また同じように逃す可能性が大です。

ですから「今度はどのように改善すれば上手くいくのか」との考察は必要です。

編集後記

2月前半に税理士会支部における確定申告無料相談の仕事を

2日間従事しました。

取り敢えず終わってホッとしています。

国税局の電話相談センターの仕事は未だだいぶ残ってますが…。