日常の当たり前は、無くなってみないとその有難みに気付かない
先日、病院の定期健診で半年ぶりに血液検査をしました。
血液検査当日は朝食抜きとなります。
朝食やモーニングコーヒーが無い朝は、拍子抜けで調子が狂います。
*上記画像は現在自宅で飼っている犬のチワワです。
朝食の当たり前
毎日朝食を摂ることが習慣になっています。
それが出来なくなったときに初めてその有難みが分かります。
私の場合それが出来なくなったのは、上記の病院の血液検査や過去に経験した手術前後のときでした。
朝食は空腹を満たす他に、一日が始まる区切りにもなっています。
朝食を終えると、これから仕事に取り掛かるスイッチとなり
「今日も頑張るぞ!」という気持ちにさせてくれます。
私の場合、朝の缶コーヒーを飲み終えるとそのスイッチが入ります。
ですから、食事が禁止されると空腹のみならず調子も狂ってしまいます。
出来なくなって改めて、普段当たり前にできることの有難さに気付きます。
犬がいる当たり前
日常の当たり前は、食事に限らず、色々あります。
例えば、我が家には犬がいますが、もう7年も一緒にいるので
存在するのが当たり前になっています。
過去にも犬を飼っていたのですが、
9歳のとき原因もよく分からず突然亡くなりました。
当時は居なくなった事実を受け入れられなかったので
ゲージ(小屋)、首輪、おもちゃ、毛布などしばらくそのままにしてました。
その間は、犬がいつものようにゲージの中で寝ているような気がして
ふとゲージを覗いてしまいました。
居なくなって初めて気づく、当たり前だった存在の有難み。
犬でさえそう感じるのですから、人間の存在はもっとでしょう。
毎月給料の当たり前
大学を卒業して直ぐに一般の企業に就職しました。
そこでは5年近く働いていたのですが、
毎月25日に給料が振り込まれることが当たり前でした。
給料の額は平均的でしたが、独身でしたので支出が少なく、
預金残高はその5年の間で、どんどん増えました。
その会社を辞め、初めて給料が途絶えた月の25日は
何とも言えない寂しさと焦りがありました。
当たり前が当たり前でなくなった瞬間。
さらにその後、残高がどんどん減っていく不安と恐ろしさ。
まとめ
日々当たり前に思っていることを再確認し、
その有難みをそれを失う前から認識したいと思いこのブログを書いてみました。
毎月の給料については、現在は個人事業主ですので今も無いですが、
毎日の朝食や、犬が今生きていることの有難みを噛みしめています。
編集後記
現在、お客様の帳簿のクレジットカード勘定の残高チェックに
奮闘しております。
途中で分割払いやリボ払いに変更したりで、複雑なパズル状態です。