日本で生きるかアメリカで生きるかで、結局日本を選んだ理由:移住を考えている人の参考になれば…

今の日本、経済の衰退や超高齢化社会、国民の為に働かない政府など

明るい話がありません。

そんな日本に見切りをつけて海外移住した某芸人の話も話題になりましたね。

そんなわたしも28歳の時にアメリカ留学をして、4年半現地で暮らしていました。

アメリカ大学院の卒業が間近となったときに、

このままアメリカに残って生きるか、日本に戻るかの選択に迫られました。

わたしの場合、色々考えた結果、日本に戻ることにしました。

その理由を書きます。

移住ではなく留学として渡米した

当時わたしが渡米した目的は、アメリカ大学院の心理学部に留学して

心理カウンセラーになるための知識と経験を得ることでした。

移住目的で渡米する人であれば、「アメリカ人になるんだ!」と覚悟を決めて

渡米後はアメリカ文化をがむしゃらに吸収しようとするのではないでしょうか。

わたしの場合は、どこかで「自分は日本人」という部外者的な立場で

アメリカ文化に接していたような気がします。

そういったところでアメリカ人にはなり切れなかったのかもしれません。

渡米したときの年齢

わたしが渡米したときは28歳で、

自分のアイデンティティは既に

日本で生きてきた中で確立してました。

ですから日本的な思考や習慣に染まり切っていたといえるでしょう。

そのせいか無条件にアメリカ文化を自分に取り入れることが

できなかったのが正直なところです。

一方、アメリカに残った日本人の友達や知人の多くは、

高校から渡米していたり、幼い頃に親の都合で数年間アメリカに住んでいたりと、

アイデンティティの形成過程でアメリカ文化に接しており、

抵抗なく溶け込めたのかもしれません。

現地に家族や親族がいない

家族と一緒に渡米したわけではなく、現地に親戚もいません。

また留学の間に現地で結婚して家族ができた訳でもありませんでした。

もしこのままアメリカにいて歳をとったときに、

家族や親族が周りに誰もいない状況で、独り暮らしている自分を想像したら、

何だかとても心細い気持ちになりました。

4年半もアメリカに暮らしていたので、一種のホームシックに

なっていたのかもしれません。

仕事上アジア人としての壁を感じた

当時留学していた大学院や大学の教授や職員たちは

アジア人も結構多くいました。

しかし、トップやその周りの重要ポストはなぜか白人で占められていました。

インターンシップとして働いた福祉センターや

近所の大学病院をみても、上の立場の多くは白人でした。

もう20年近く前の話なので、

職場の地位における人種的な壁は改善されているのかもしれませんが、

当時、職場でのアジア人のポジションは、

サブ的なものが多いなぁとわたしは感じました。

なお、幸運だったのかもしれませんが、

日常生活の中では、わたしが直接人種差別を受けたことはありませんでした。

戻る場所があった

家族とのいざこざで、日本から逃げるように渡米したり、

その他日本に居場所がなくなってしまった状況の人は、

アメリカで生きていくことの強い覚悟があるでしょうし、

他に選択肢がないということもありえるでしょう。

わたしの場合は、甘えなのかもしれませんが、

逃げ戻る場所として日本がありました。

まとめ

わたしは渡米して数年間現地で暮らした後、

アメリカには残らずに日本に戻る選択をしました。

その理由は上記のように色々ありましたが、

今考えるとそれも運命だったような気がします。

編集後記

最近マクドナルドでも仕事をしたりブログを書くようになりました!

税理士受験生時代はちょくちょくマクドナルドに通っていたので

当時の初心に戻った気分で、ウキウキしてます。