住んでいた街2:リバーサイド

今日は、自分の過去に住んでいた街、カリフォルニア州リバーサイドについて書いてみたいと思います。

アメリカで最初に住んだ街

28歳の時に「地球の歩き方・アメリカ大学大学院留学」という本で留学先を探していたのですが、寒いところは苦手だったのと、カリフォルニアはテレビでもよく知っていたので、カリフォルニアの大学院にしようと思ってました。

カリフォルニアといえばLA(ロサンゼルス)ですが、LA周辺の大学院入学の難しさと家賃の高さなどから、LAから少し離れたカリフォルニア大学リバーサイド校の大学院の入学を当初は目指しました。

同校では留学生向けの英語学習施設があったので、大学院入学レベルまでに英語力を上げるため、その英語学習施設のプログラムを申し込みました。

リバーサイドで寮生活からスタート

カリフォルニア大学リバーサイド校の英語学習施設には寮があり、入学前に日本で入居を申し込みました。

これが始めてのアメリカでLA空港に着いたのは10月でした。空港から出ると気候はまだ熱く、日差しがサンサンとしてましたが、湿度が低くカラっとして気持ちよかったのを覚えています。

空港出口では英語学習施設の従業員が施設名のプラカードを持って待ってました。留学生がみんな集まり、送迎バスに乗って、高速で南へ1時間半ぐらいで施設に着きました。施設に向かう途中には、一面の砂漠地帯や、ヤシの木が並ぶ通りなど、映画で観た光景がそこにありました。

到着した英語学習施設の周りは、当時建物も少なく、砂漠地帯で閑散とした光景でした。

施設の近くには、出来たばかりのモールがあり、そこにあるデニーズがアメリカで初めて食事をした店でした。

デニーズのメニューは、当時内容がよく分からなかったので、取り敢えず定番だといわれたステーキセットを注文しました。

出てきた食事は、特大ステーキ&大盛ポテトフライとパンケーキ3枚+1Lのコーラでした。日本のデニーズをイメージしていたので、日本の3倍ぐらいある量に圧倒されました。アメリカ人は、この量を普通に食べているので、胃袋の大きさの違いを実感しました。

味ですが、ステーキソースが薄すぎてステーキが美味しく感じません。またパンケーキは甘すぎて、食べているうちに気持ち悪くなり、途中で食べるのを断念しました。

なお、ライスはメニューにはなく、パンケーキがアメリカでいうライスの役割をしているようです。

メキシコ国境に近く、メキシコ文化が入り混じっている

リバーサイドは南カリフォルニアに位置し、メキシコへは車で3時間程の距離です。住民もメキシコからのヒスパニック系の移民が多くいました。

ですからメキシコ料理の店も多く、トルティアスやタコスなど、私もよく通い食べていました。スパイシーなので、喉に通りやすく又美味しくもあり、値段もお手頃で10ドルあればお腹一杯になります。

建設ラッシュで目まぐるしく変わっていった

私はリバーサイドには寮生活2ヵ月、アパート暮らし6ヵ月ほどしか住んでませんでした。その後、ローマリンダ→サンバナディーノと移ったのですが、リバーサイドには、たまに映画を観に行ったり、モールをブラブラしたりはしてました。

初めてリバーサイドに来てから4年位経過して再訪問したときは、当初砂漠地帯で閑散としていた風景は、建物に埋め尽くされた立派な都会に変貌してました。

今、日本に帰国してから15年程経ちますが、その間のリーマンショックの不況がどう影響したのか、リバーサイドがそのまま発展していったのかは不明です。

まとめ

今回は、未来に明るい希望を抱いていた20代後半に住んでいたアメリカ・カリフォルニア州リバーサイドについて書かせて頂きました。

あの頃のワクワク、ドキドキ感を忘れずに生きて行きたいものです。

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