アメリカ大学院時代の週末の過ごし方

1998年秋にアメリカ・カルフォルニア州にある語学学校へ留学し、

2001年から現地のソーシャルワーク学部の大学院へ入学しました。

大学院では論文作成や実地研修(field work)など、結構ストレスが

貯まるので、週末は何かと日本文化に触れて自分を癒してました。

大学院に自分以外留学生がいない

当時、心理カウンセラーを目指していたわたしは、

渡米3年目にして、ようやくソーシャルワーク学部・精神衛生科の

大学院に入学することができました。

しかしその学部は留学生に人気がなく、外国人は1人もいませんでした。

生徒は皆、地元のアメリカ人ばかりです。

彼らと授業でグループワークなどをしますが、言葉の背景や裏の意味が

イマイチ理解できないことがあって、疎外感を感じることも多々ありました。

当時のわたしの年齢は既に32歳。

長い間日本の文化や思考の中で生きてきたので

新しい文化を吸収する柔軟性が乏しかったのかもしれません。

留学3年目ぐらいになると、自分はコテコテの日本人で、

アメリカ人にはなりきれないかもと思うよになりました。

このような疎外感を感じたときは、日本が恋しくなり、

週末の休みは、何かと日本文化を味わおうとしてました。

日系スーパー・ミツワで買い物

LA(ロサンゼルス)のダウンタウンには、リトル東京という日系人の

町があります。そこにミツワ(旧ヤオハン)という日系スーパーが

あって、そこへ毎月1回、日本食の買い出しに行ってました。

わたしが暮らしていたサンバナディーノ郡からリトル東京までは、

車で片道1時間30分ぐらい掛かります。

今考えるとよくもそんな時間を掛けてまで行ったなぁと思いますが、

それだけ、日本が恋しかったのでしょう。

ミツワでは、アメリカスーパーでは手に入らない

薄切り肉、納豆、カレー、ワカメ、味噌、お菓子などをよく買ってました。

それらを自分のアパートで調理して、じっくり食べながら、

日本にいるような気分を味わってました。

ただ、それら日本食の多くは輸入品なので、

値段は日本で購入するときの2~3倍はしました。

ですから、たくさん買うことは出来ず、貴重品でした。

日本人教会へ

わたしが暮らしていたサンバナディーノ郡内に、たまたま日本人教会がありました。

その教会の存在は留学当初の語学学校で出会った日本人の方に

教えてもったのですが、土曜の礼拝日に、月2~3回通ってました。

そこには他の日本人留学生も何人かいて、留学生としてお互いの苦労話を

シェアしたりと、悶々とした気持ちや感情を吐き出すことができました。

またその教会で、歯科技工士として現地で自営業をしている日本人の方と

仲良くなり、週末は一緒に山へマウンテンバイク乗りをしたり、

夜はお酒を飲みながら将来の夢を語ったりして、

とても楽しい時間を過ごしました。

日本語の本や新聞を読む

今は、世界中どこにいてもインターネットに繋がれば、

日本の文化や情報なんて幾らでも味わうことができます。

しかし当時はインターネットが一般に普及されたばかりで、

ユーチューブやSNSも一般的ではありませんでした。

さらに当時のわたしのアパートのネット回線は、光回線ではなく

電話回線だったので動画なんて観れません。

ですから、日本の映画やTVを見たいときは、

リトル東京まで行って日系レンタルビデオ店で借りてました。

また、アメリカに長く暮らしていると日本語の活字が恋しくなります。

そういうときは、日本の新聞や本でその欲求を満たしました。

当時朝日新聞を定期購読契約したのですが、毎朝の配達サービスは無く、

郵送方式だったので、3日分がいっぺんに届いたりして、

毎日とっている意味があまりありませんでした。

また、日本の情報誌や小説などもリトル東京への食料買い出しついでに

購入してました。

日本語の本や雑誌も日本食と同じく値段が定価の2~3倍はしました。

それでも、日本語の本を寝る前に読むときの幸せは何ともいえず、

高いお金を払う価値はありました。

当時と比べると、今の留学生はインターネットで幾らでも日本文化に

触れられるので羨ましい限りです。

編集後記

先日、郵便局に用事があり入ったのですが、

そこには色んな絵柄の年賀状が販売されてました。

年末感満載の雰囲気を目の当たりにして、

これから来る仕事の繁忙期に対する

こころの準備が未だできていない

わたしは、ちょっと焦りました。