元気だった人が急に病院行きになるのを目の当たりして思うこと

先月、某業界団体のテニス大会に参加したときの出来事です。

参加者である年配の方がダブルスの試合を終えて、

対戦相手と終わりの握手をした直後に倒れこんだというのです。

そのとき心肺停止状態ということで救命処置の後、救急車で病院へ。

幸い命は助かったということですが、

ついさっきまで元気に試合をしていた人が

急に心肺停止になったと聞いて、色々考えさせられました。

若いときは他人事

私が大学浪人生の時、受験予備校に通っていたのですが、

そのときも同じような出来事がありました。

漢文を教えていた男性講師が講義中に教壇で急に倒れたのです。

倒れる寸前まで、普通に講義をしていたので私はただ驚いて呆然。

前の席の生徒が受付に連絡して、その講師は直ぐに救急車で病院へ運ばれました。

幸い、後日無事退院できて、講師としても復帰されました。

当時私は10代で、その講師は60代と年齢が離れていたのもあって、

歳をとれば、「そういうこともあるよね」と思うぐらいの他人事でした。

今は他人ごとではない

私も年齢が50代に突入して、人生も後半であると自覚すると

不意に人生が終わってしまうことに対するリアル感があります。

また、病気やケガで何度か入院して手術を経験したのですが、

その時も命のはかなさを実感しました。

3度の手術経験ではどれも全身麻酔されたところまでは覚えてますが、

その後、意識が無くなる寸前までの記憶がありません。

要は、麻酔で眠くなるという感覚ではなく、麻酔されたと思ったら、

気が付いたときはもう手術は終わっていて、その間の時間が切り取られた感覚です。

ということは、仮に麻酔トラブルでそのまま死んでしまったとしても

自分自身が意識を失ったことにも気付かずに人生が終わっているということです。

この経験からも何十年と生きていても、終わるときは

あっさりと、あっけないものだと感じました。

あっけなく人生が終わる可能性も考慮して生きる

長く生きていると、他人が急に死に直面するのを目の当たりにしたりします。

若い頃は、そういうことは他人事であって、自分には関係がないように思えます。

それが、歳を重ねて自分自身も急な病気やケガで、入院したりすると

自分事として受け止めるようになりました。

そして今では、次のことを改めて考えるようになりました。

 ・やりたいことを後回しにすると、結局やり残したまま人生が終わるかもしれない

 ・あまり遠い未来のことを心配しても、そこまで生きているか分からない

 ・お金はとても大切であるが、生きていなければ使えない

上記のことを日々思いながら生きています。

編集後記

最近プラモデルの塗装にハマっています。

塗装していると同じ「白」でも、

緑かかったものやグレーに近いものなど

色々あることに気付きます。

日常生活の周りの色にも意識が行って

敏感になってます。